水平線10周年イヤーの今年、機会がある限りいろいろな ところで演奏させて頂いてます。感謝、感謝!
サラリーマンしながら、水平線の、そして仲間たちのサポート本番 や指導を続ける。 普段何げなく続けているのですが、毎年この時期になり、1年を数字 で振り返ると、「よくがんばってるな、私たち」と思ったりします。 (今年は本番が2.5回、指導が7.5回/月平均になりそう)
でも、そこは人間のやること。120パーセントはありえない。 本番がたてこめば、 部屋がちらかる、ごはんが手抜きになる、寝不足になる・・・ 「プラスとマイナスでとんとん。それで当然、いたしかたなし!」 「助けてくれる誰かが、いつも回りにいるからこその水平線!」 そう思って、思い詰めず、感謝しつつ日々を過ごしています。
が、そんな水平線に神様?仏様?が10周年の宿題を持って きました。
============= 事の発端は8月15日の奈良フェスの終演後。 宗次郎さんとお話しする機会があったのですが、実はその時、 【僕の曲を演奏してくれたんですね】以外にも言われたことが あったのです。それは【今度、常滑に行きますよ】でした。
宗次郎さんは、常滑の型屋さんにオカリナの型を注文したり、 常滑の土を求めにと、最近何度も常滑に足を運んでいるのです。 でも、こういう言い方をするということは、イベントの話が持ち 上がっているんだなぁとは思ったのですが、 まだまだ先のことかな?きっと地元のことだから情報は自然に 入ってくるだろうな?と思っていたです。
ところが、9月の中頃、赤レンガ建物一般公開に行った際、 常滑と半田の合同観光パンフレットを手にし、 そこに見たものは・・・ 陶と灯の日・・・宗次郎・・・コンサート?! INAXライブミュージアム?!
超・人数限定のコンサート、そのときすでにチケットは完売で・・・ がーーーーーーん( ̄□ ̄;)!! プロ奏者の宗次郎さんが、水平線の名前を覚えてくれて、 常滑出身と覚えてくれて、今度行きますよと声をかけてくれた、 会場は(=^・^=)の職場の経営する博物館、 にもかかわらず、そのコンサートに行けない!? まさに一生の不覚です。。・゚゚・(>_<=)・゚゚・。
重なるときには重なるもので、同じ頃に、武豊町のM先生から 「武豊町の春の音楽祭、水平線でエントリーしないですか? 今年は募集枠が多いから、HPで確認して申し込んでみては?」 と勧められたのです。で、HP見てみると・・・7月から募集して いたらしく、締め切りまで1週間しかない!! がーーーーーーん( ̄□ ̄;)!!
常滑は出身地、武豊は(=^・^=)の母校(高校)の所在地。 まさに地元の「いい情報」をもう少しで逃してしまうところだった ことにかなりショックを受けたのでした。
============ 19歳で実家を出た(=^・^=)は、同級生・知人の消息や今の風貌 がよく分からない。 そもそも「人を覚える、覚えておき続ける」が病的にニガテな (=^・^=)は、どうしても人見知りが激しくなりがち。 (しぶちゃんはずっと地元だけど、やっぱり人見知り)(苦笑)
常滑・武豊・半田(北部)には、もともオカリナ・陶笛を演奏したり、 指導する先生がいらっしゃるので、「しゃしゃり出るのも何かなぁ」 と二の足を踏んでしまう。
結果、オカリナを通じて知っている方と顔を合わせた時に挨拶 する程度しか交流がない状況なのです。 でも、その貴重なつながりさえも大事にできていなかったんだなぁと、 今回つくづく反省しました。 きっと神様?仏様?が「これがこれから10年の水平線の課題ですよ」 と教えてくれたのでしょうね。
年齢を重ねれば重ねるほど、現実的な仕事(=収入源。サラリーマン) より、神様・仏様から授かった仕事(=オカリナ)のウエイトの方が 大きくなっていくはず。 そんな中で、声をかけて下さる方(遠方)だけでなく、 地元でも何かできないか、逃げずにちゃんと考えて、ちゃんと行動を 起こさないといけないということなのでしょうね。 皆さんが支えてくださった10年の重みは、水平線の何よりの武器。 そう思ってるだけじゃなく、それを行動に活かさないと、ご恩を返す ことができないまま人生終わってしまうということなのでしょうね。
とりあえず、折々で「何かいい話ありませんか?」って声かけてみる ことから始めてみよう!できることから始めてみよう! (=^・^=)/
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